世界の映画館 <4>
日本ミニシアター取材記
―「JFF+ INDEPENDENT CINEMA 2023」ミニシアター紹介映像制作から―

2023.9.22
【特集079】

特集「世界の映画館」(特集概要はこちら

玄田 悠大
(国際交流基金 映像事業部)

1.日本の映画文化を支えるミニシアター

『映画上映活動年鑑2022』*¹によると、「ミニシアター」とは、大手映画製作・配給会社の直接の影響下にない独立した経営を行い、単館ないしは数館による公開を前提とした「単館系」「アート系」と呼ばれる作品を中心に番組編成を行う小規模劇場・映画館、及び名画座と称される旧作またはロードショー館での上映が終了した新作で番組編成をしている映画館を合わせたものです。日本の映画館数は、2022年では590館ですが、内訳は、シネマコンプレックス(シネコン)(同一の運営組織が、同一の所在地に名称の統一された複数のスクリーン(原則5スクリーン以上)を設置し、かつ、出入り口、入場券売場、ロビー・売店、映写室などを集約化して共有する映画館)が359館、既存興行館(その地域の興行会社が経営する従来型の映画館)が66館、ミニシアター/名画座が136館です。つまり、ミニシアター/名画座が全映画館の約2割を占めています。一方、同年に映画館で公開された映画538本の公開作品の中、60%以上を占める314本が49館以下の小規模公開作品であり、そのほとんどがミニシアターのみで上映されています。このように、ミニシアターは日本の映画文化を支える重要な役割を担っています。



genda_001_340.jpg 各映画館数の推移

2.「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」と「MINI THEATER JOURNEY」

このような背景を踏まえ、国際交流基金(JF)は、日本の映画文化の多様性を支え、地域文化に彩りを与えている「ミニシアター」に焦点を当てたオンライン配信企画「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」を立ち上げました。2022年12月15日から2023年6月15日まで実施した第1弾では、海外の視聴者を対象に、日本映画12本、ミニシアター6館を取り上げ、大きな反響を得ました。
そして、第2弾「JFF+ INDEPENDENT CINEMA2023」を2023年8月1日から10月31日まで実施しています。日本各地のミニシアターや国際的に活躍する映画評論家/映画祭ディレクターから推薦を受けた日本映画12本、そして、ミニシアター10館を紹介する映像シリーズ「MINI THEATER JOURNEY」を全世界に向けて無料配信しています。「MINI THEATER JOURNEY」はこの第2弾からの取り組みで、関係者のミニシアターへの想いに焦点を当てつつ、所在する地域も合わせて紹介する、英語字幕付きの映像です。国際交流基金のミッション「日本の友人をふやし、世界との絆をはぐくむ。」を踏まえ、世界の皆さんからミニシアターへの親しみを醸成すべく、ミニシアターの「人となり」が伝わることを意識し、関係者とミニシアター、地域とミニシアターのつながりを感じていただけるよう、制作しました。
この「MINI THEATER JOURNEY」の撮影を通じて、10館の違いや地域との関係性がより鮮明となりました。地域や社会の現在地は、地域文化の重要な担い手でもあるミニシアターを通じて浮かび上がってくるのかもしれない。そう思わせるほど、ミニシアターは、日本各地における文化の多様性を表す存在となっています。
本稿は、この「MINI THEATER JOURNEY」の制作を通じて触れた、紹介映像の「副音声」的ストーリーです。映像では各館を深掘りいただきつつ、本稿では館同士の関係性や相違を感じていただき、総じてその多様な魅力に触れていただけると嬉しいです。


genda_002.jpg ミニシアター紹介映像シリーズ「MINI THEATER JOURNEY」

3.10館のミニシアター―北海道から沖縄まで―

まず、今回撮影させていただいたミニシアターを紹介します。北から、函館市民映画館シネマアイリス(北海道函館市)、シネマ・デ・アエル(岩手県宮古市)、深谷シネマ(埼玉県深谷市)、シネコヤ (神奈川県藤沢市)、上田映劇(長野県上田市)、元町映画館(兵庫県神戸市)、jig theater(鳥取県東伯郡)、シネマ尾道(広島県尾道市)、THEATER ENYA(佐賀県唐津市)、桜坂劇場(沖縄県那覇市)。文字通り、北は北海道から南は沖縄まで、日本全土をまたいで、地域性と魅力あふれるミニシアターに協力いただきました。
そもそも映画文化と地域とは、切っても切れない関係性を紡いできました。岩手県盛岡市、盛岡城近くの地域は、開町之碑(1941年11月3日、菜園町会建立)によると、昭和2年に地域開発を行う南部土地株式會社を設立し、昭和3年より開発を進め、その中の取り組みの一つとして「映畫劇場ヲ新築シテ民衆文化ノ向上ニ資スル」事業が行われました。実際、昭和10年頃より映画館が盛岡市内の一つの通りにまとまって開館し始め、「映画館通り」と呼ばれるエリアが形作られていきました。戦後になると、東京・新宿の都市計画において、都市計画家石川栄耀が歌舞伎劇場や映画館をはじめとする娯楽施設で広場を囲むプランを提案し、それが今の歌舞伎町となった経緯があります。沖縄県では、1960年代には120館に及ぶ映画館があり、その影響で那覇市のメインストリートが、「アーニーパイル国際劇場」という映画館からとられて「国際通り」と名付けられました。他にも、映画館由来の通り名が、桜坂通り(現桜坂劇場のある通り)、平和通り、沖映通り、オリオン通りと複数あり、映画館と地域との強い結びつきが見いだせます。これら映画上映の場はまちの形成や復興に欠かせない存在でした。
また、映画製作の場も地域形成に影響を与えました。1924年より分譲を開始した東京郊外にある閑静な住宅地「成城学園前」には、1932年にP.C.L.映画製作所(現・TOHOスタジオ)が撮影用の大ステージを建設しました。この撮影所では後に「ゴジラ」シリーズを撮影するのですが、成城学園前のまちでロケをしたり、映画監督や俳優が成城学園前に居を構えたことで、地域文化形成に大きく寄与しました。同様に、郊外住宅地の大泉学園には1934年に新興キネマ大泉撮影所(現・東映東京撮影所)が、大船には1936年松竹大船撮影所(2000年閉所)ができるなど、戦前の地域形成に撮影所が影響を与えた事例が複数あります。このように、上映・製作双方で、日本の映画文化とまちとの相性は良好でした。
そのような背景を踏まえ、日本のミニシアターは、起源としての1960年代、社会的な「運動」の側面を持つ1970年代、「興行」へ重点を移し多くのミニシアターが開館した1980年代を経て、成熟期としての90年代に至る経緯を辿ります*²。一方、1980年代頃から郊外に大型店などが出店した影響で、地域の賑わいを担っていた中心市街地の商店街が廃れ、空き店舗が増えるという中心市街地空洞化が全国で増加し、商店街の一部に立地していたミニシアターもその影響を大きく受けることになりました。実際、2000年にミニシアターを含むシネコン以外の映画館は1401館ありましたが、2022年では428館と3分の1以下に減少しました。このようにミニシアターは、1990年代以降の社会変化による影響を大きく受け、地域課題と歩みを共にすることとなりました。
今回取り上げた10館で最も設立の早い函館市民映画館シネマアイリス(1996年)から最も新しいjig theater(2021年)まで約30年の差がありますが、ミニシアター減少時代での設立という点で共通します。2008年をピークとする日本の人口増に呼応して急増するシネコン。マス向けではないミニシアターは、地域での位置づけを問い直さざるを得ませんでした。2000年代は深谷シネマ(2002年)、桜坂劇場(2005年)、シネマ尾道(2008年)が、2010年代は元町映画館(2010年)、シネマ・デ・アエル(2016年)、シネコヤ(2017年)、上田映劇(2017年)、THEATER ENYA(2019年)が設立されました。彼らの設立・運営を通じて、どのようなことが見えてくるでしょうか。


※画像をクリックすると拡大表示されます。

genda_mini_theater_l_j.png 「JFF+ INDEPENDENT CINEMA 2023」にご協力いただいたミニシアター10館

4.まちにミニシアターを取り戻す

そもそも彼らは、なぜミニシアター減少時代にミニシアターを立ち上げたのでしょうか。そこから紐解きたいと思います。まず、最も多く聞かれたのは、まちからミニシアターがなくなったからという理由です。シネマ・デ・アエルは、まち唯一の映画館だった「みやこシネマリーン」が2016年9月に閉館したことがきっかけでした。シネコヤは、2007年に支配人の地元藤沢の歴史ある映画館「藤沢オデヲン」が閉館し、まちの映画館がなくなった喪失感と淋しさから、映画館をつくろうと決意。シネマ尾道は、2001年に尾道市内で最後の映画館「尾道松竹」が閉館し、映画のまち・尾道に映画館がないのは寂しいとの想いから。THEATER ENYAは、1997年に市内から映画館が姿を消していましたが、2010年の商店街来街者アンケート調査で「市民からもう一度自分のまちで映画を観たい」という要望が多く聞かれたことがきっかけ。桜坂劇場は、2005年に那覇最後のまちなかの映画館「桜坂シネコン琉映」の運営会社が映画事業から撤退し閉館したことと市民の声の高まりを受け、映画館を存続させたいとの願いによってでした。郊外にできたシネコン、人口減少、若者文化の多様化といった社会的な要因で閉館の途に立ったミニシアターの状況を何とかしたいと、あえてミニシアター逆境時代に立ち上がる決意をされたのでした。


genda_004.jpg シネコヤはまちから映画館がなくなったことがきっかけでつくられた

5.新たに育むコミュニティ

次に、ミニシアター立ち上げの際、観客をどのようにつくっていくか(これまでのミニシアターから引き継ぐか、新たに創出するか)を検討することになります。多かったのが、自主上映会を実施した後に開館した流れでした(函館市民映画館シネマアイリス、深谷シネマ、シネコヤ、シネマ尾道、THEATER ENYA)。その多くは映画館が地域からなくなってからしばらく経ってからの開館であり、観客創出という課題を上映会によって解決しようと試みたことがうかがえます。
また、THEATER ENYAは、開館前に映画『花筐』を地域一丸で制作し、それが地域住民を映画文化へつなげる一要素になりました。シネマ・デ・アエルは、常設館「みやこシネマリーン」が映画上映を通じてはぐくんできた地域の映画文化を、同館の運営組織でその後毎月施設を都度借りて数日間上映を行っているみやこ映画生協とともに、引き継いでいます。桜坂劇場は桜坂シネコン琉映までのその場所の娯楽文化を引き継ぎつつ、すぐにカフェ「さんご座キッチン」やショップ「ふくら舎」、ワークショップスクール「桜坂市民大学」を展開し、新たな客層の開拓を進めました。これらの取り組みをさらに見てみると、コミュニティを意識していることがわかります。シネマ・デ・アエルは、市民だけでなく、目的に共感する有志が、岩手県各地や隣県、首都圏からも集まって運営し、上映作品の選定をメンバーがそれぞれ行っているように、みんなで協力し、実施するプロジェクトという色合いが強いミニシアターです。元町映画館は、創立者兼オーナー・堀忠さんの映画館への想いに共感して集まった映画好きの有志たちでオープンさせたように、みんなで映画館を作り上げ、つないでいく意識を強く持っています。これらは運営側のコミュニティ形成といえるでしょう。


genda_005.jpg 函館市民映画館シネマアイリスには、縁の深い映画『海炭市叙景』のポスターが今もはられている

一方、映画館をサポートするコミュニティの形成もありました。函館市民映画館シネマアイリスは、1996年、自主上映グループ「アイリス・イン」を母体とし、およそ470名の市民から700万円を超える寄付が集まって誕生しました。THEATER ENYAは、まちづくり会社・いきいき唐津株式会社が市民アンケートをもとに旗揚げした「唐津シネマの会」が地道に定期的な上映会を続けたことを足掛かりに、2019年に映画館を復活させた経緯があります。まちづくり会社を通じて、ミニシアターを立ち上げ、運営することを通じて、運営側・地域側それぞれで新たなコミュニティを醸成し、それが既存のコミュニティと連携・融合していくことで、地域文化に彩りを与えていきました。このことは、現代のミニシアター自体が、映画を単に提供する場所ではなく、自身が関わる場所として、地域社会における新たな結びつきをもたらしうる存在であることが分かります。


genda_006.jpg シネマ・デ・アエルでは、メンバーが上映映画を交代で選んでいく

6.主観的な想いと客観的な視点

そのような流れで新たに開館したミニシアターですが、関わってこられた方々には、それまでその土地に縁のない方や一度外に出て戻ってこられた方が多いことに気づきます。深谷シネマの竹石研二さんは奥様の地元である深谷で映画館を立ち上げることにし、シネマ尾道の河本清順さんは京都で学生時代を過ごし、桜坂劇場の下地久美子さんは大学卒業後県外で働いたとのこと。シネマ・デ・アエルの有坂民夫さんや櫛桁一則さん、jig theaterの柴田修兵さんと三宅優子さん、THEATER ENYAの甲斐田晴子さんや川口唯子さんをはじめとする皆さんも、その地域に住み続けていたわけではありませんでした。外に出て、地元の良さに気づき、状況を憂い、また、外の目よりその地域の良さに惹かれ、地域に入っていきました。ミニシアターが、そもそも異文化紹介コンテンツである映画を扱っていることから、他者の目線を受け入れやすい施設なのかもしれません。地域とのコミュニケーションをうみだす空間としてのミニシアターの場所性が、その関わり方から見えてくるように思います。
このように、その地域への愛着と地域への客観的視点が、ミニシアター逆境時代にミニシアターを開く一つの要素になっているようです。そのとき、一つの疑問が起こります。そもそも、運営が成り立たなくなったためにミニシアターが無くなった地域で、新たなミニシアターを成り立たせることは可能なのでしょうか。可能である場合、どのような手段を取ったのでしょうか。


genda_007.jpg jig theaterは、想いを共有する方々と、地域の魅力を見出し、紡いでいる

7.映画に「こだわらない」ことにこだわる

その答えの一つを、最初にロケハンでうかがった桜坂劇場(沖縄)で教えてもらいました。支配人・下地久美子さんのお話で印象的だったことは、映画にこだわらない、映画館にこだわらない、という点でした。桜坂劇場は、観たい人がたくさんいる映画を上映する、この映画が劇場のカラーであるということを劇場側が決めず、幅広いジャンルを提供することを心がけているとのこと。代表・中江裕司監督によると、映画館ではなく劇場であり、映画館の続きを誰かがやるのではなく、娯楽を楽しめる場所として、あらゆる人が来られるオープンな場所になるようこだわり、節操がなく多様性があることを意識しているとのこと。実際、書籍やグッズ、沖縄県内の陶器などを扱うふくら舎、さまざまなことを学べるワークショップを100以上開講する桜坂市民大学、コーヒーやビール、食事が楽しめるさんご座キッチンと、映画を観ないときも訪れ、楽しめる娯楽要素にあふれています。桜坂劇場で最も目利きが必要なのは陶磁器の仕入れという下地さんの話も同館ならではのエピソードでした。


genda_008.jpg 桜坂劇場内の物販店「ふくら舎」2階。沖縄県内外の魅力的な陶器や雑貨であふれる

他のミニシアターでも、同じような状況に直面し、それぞれの解決策でミニシアターを運営することにした館が少なくありません。シネマ・デ・アエルは、常設館ではなく月に一回上映で、かつ、コミュニティによって実施することで、リスクを分散する運営スタイルを取っています。シネコヤは、映画館だけではやっていけないことを認識し、パン屋とカフェを組み合わせ、映画が目的ではない人たちも訪れることができる空間をつくりました。THEATER ENYAは、まちづくりの視点を強く意識した複合施設を新築し、ホテル、カフェ、アンテナショップ、シェアオフィスとともに設立されました。映画上映を行う場所としてのミニシアターから、映画上映「も」行う場所としてのミニシアターへ、そして、無理のない運営を行うミニシアターへ、柔軟な考え方でその形を変えていっています。地域のニーズ、コミュニティのニーズ、それらをうまく取り入れ、地域の、コミュニティの、新しい共用部として、ミニシアターが成り立つ可能性を提示してくれています。
そして、改めて気づくのは、一度まちから映画館がなくなったこと自体が、新たな映画館をつくるきっかけになっていることです。通常、まちの文化を紡ぐには、担い手の育成や文化の継承を前提に議論がなされます。しかし、今回取り上げたミニシアターの多くに共通するのは、それまでの運営団体をそのまま支えたり、既存空間をそのまま使うのではなく、新しいコミュニティや枠組みが復活させ、空間特性も更新したという話でした。まちからミニシアターが無くなったことでできたミニシアターは、いかにコミュニティを形成し、地域とつながるかを意識しており、彼らの運営にとって、地域活動は欠かせない側面になりつつあるといえます。ミニシアターの現代性は、この点にあるともいえるでしょう。


genda_009.jpg THEATER ENYAがある「KARAE」の1階。まちの一部として機能する

8.空間の継承からまちの新たな風景へ

このようにリスタートしたミニシアターの建物は魅力的なものばかりです。新築は、酒蔵跡に新しく建てられた複合施設内にあるTHEATER ENYA。もともと映画館だった場所を再利用した建物は、上田映劇、シネマ尾道、桜坂劇場。リノベーション例として、シネマアイリスはアパート1階に入っていたスーパー跡地、シネマ・デ・アエルは登録有形文化財である江戸時代の元酒蔵、深谷シネマも同じく江戸時代の元酒蔵、シネコヤは元写真館、元町映画館は元商店、jig theaterは元小学校でした。場所や建物といったまちの空間資源を活用し、地域性を高めることができるのもミニシアターの特徴であるといえます。


genda_010.jpg 上田映劇のエントランス。桜坂劇場を参考にしている

それら建築空間からは、地域とのさらに豊かなつながりを見出すことができます。深谷シネマが七ツ梅酒造跡にて開館した後、同酒造跡の敷地内の建物には、徐々にさまざまな店舗が入り始め、今では古本屋やカフェ、居酒屋、ギャラリー、木工所、映像制作会社など、多様な主体が並ぶ横丁が生まれました。国内外より観光客が訪れる深谷の名所の一つにもなっています。シネコヤでは、前述の通り、たくさんの本や雑誌が並び、パンの販売も行いつつ、映画にちなんだ飲み物や食べ物を地域のお店と一緒に企画・販売しています。今ではさまざまな雑誌でも取り上げられ、地域の方々だけでなく観光客も訪れる場所になっています。THEATER ENYAは、地域課題を解決するため、地域に必要な機能を備えた複合施設「KARAE」の一角で運営しており、施設内の広場で滞留する地域の方々や観光客をよく見かけます。地域内外のさまざまな方が訪れ、関わる場として、ソフト、ハードの両面より大きな役割を担っています。桜坂劇場は、受付を入り口から内部へ大きく引き入れ、映画を観ない人も気軽に入れるよう改装しました。元来、ミニシアターは商店街にありました。商店街で、人々は、服を買い、食品を買い、お茶をし、映画を観て、複合的な活動を行っていました。復活したミニシアターは、中心市街地空洞化によって失われた地域の商店街的要素をまとっているともいえ、まちの魅力を複合的に提供できる場所・機能として存在しうるとともに、観光とも親和性を持っています。近年、地域に生きながら、地域の課題に応え、新たな価値を生み出していく活動「アーバニズム」を実践する人々のことを「アーバニスト」*³と呼びますが、ミニシアターの担い手たちはまさにこの「アーバニスト」といえるのではないでしょうか。彼らが魅力あるまちづくりのカギを握る存在なのかもしれません。

  • *³ 中島直人著『アーバニスト ――魅力ある都市の創生者たち』(ちくま新書、2021)


genda_015.jpg 深谷シネマのある七ツ梅酒造跡。国内外より観光客が訪れる

9.地域や国境をこえた価値の共有

このように、各ミニシアターは立ち上げから現在に至るまで地域に根差して活動している一方、ミニシアター同士の横のつながりも伺えました。例えば、シネマ尾道は、映画館を復活させようとした際、通常映画館は30万人の人口がいないと成り立たないといわれる中、当時尾道の人口が15万人で苦慮しましたが、同じ状況で開館していた深谷シネマがたくさんの観客に支えられていることを知り、映画館づくりを決意したといいます。上田映劇は、映画館に人が入りやすいようにするため、桜坂劇場にふくら舎やさんご座キッチンが併設されていることを参考に、コーヒーショップへの間貸し、映画グッズや雑貨を置くようにしたそうです。ミニシアターにとって、先達や仲間の存在がそれぞれの歩みを勇気づけています。


genda_012.jpg シネマ尾道は、立ち上げの際、深谷シネマが参考になった

その上で、国境をこえたミニシアター同士の結びつきは、どのような可能性をもたらしうるのでしょうか。今回の映像撮影時、ミニシアターの関係者に、海外の人たちにこの映像を届けることがどのような意味・意義を持つか、お尋ねしました。元町映画館の林未来さんからは、自館や神戸の映画館だけでなく、大阪や京都と、映画館同士が連携し、全体が活況になるように考えることが重要で、そのつながりが地域、関西、日本、世界へと広がっていくことがミニシアターの未来にとって重要であるとうかがいました。深谷シネマの竹石研二さんからは、韓国・仁川のミニシアターが深谷シネマを訪ねてきて交流を持たれたエピソードを通じて、ミニシアターのネットワークが国境を越えてつながる可能性や意味を聞くことができました。地域に向けた活動が中心のミニシアターにとって、海外とのつながりは直接的な要素ではありませんが、地域や日本という枠組みをこえた結びつきを醸成する可能性を秘めているのがミニシアターの良さでもあると思います。過去、さまざまな日本文化は、海外からの評価によって再注目され、評価されてきた経緯があります。本事業が、日本のミニシアターの価値が海外より認められ、注目される一助となること、そして日本の人々にも更にミニシアターの魅力が伝わるきっかけとなることを願ってやみません。


genda_013.jpg 元町映画館は、映画館連携によるグッズも作成・販売している

10.おわりに

この「MINI THEATER JOURNEY」は、個性豊かなミニシアターとそれを支える関係者の様子を収めた、ミニシアターの等身大の魅力を伝えるドキュメンタリー映像です。このひとだから、このまちだから、このミニシアターがある。このミニシアターがあるから、この映画が世界に届く。そんな、日本映画の未来がミニシアターにはあります。
取材を通じて、日本のミニシアターはまちとの関わりが強い存在であることが改めて分かりました。ミニシアターづくりを通じてコミュニティを醸成し、そのコミュニティを通じてまちづくりを展開するミニシアター、映画とそれ以外の要素を組み合わせ、地域に即したスタイルを模索するミニシアター、地域と外部の接点として新たな関わり方を生み出すミニシアター...。正解のないその在り方は、地域によって、関わる方々によって、多様な可能性を秘めています。ミニシアターのあり方は、映画分野に限らず、地域文化、中心市街地、まちづくり、コミュニティなど、さまざまな分野に活きるヒントを持っています。コロナ禍が落ち着き、日本にも多くの観光客が戻り始めていますが、地域の人の視点と外部の視点、地域と地域外との接点を両方持っているミニシアターは、一般的な観光からもう一歩踏み込んだ地域の顔との接点に触れることができる要素も含んでいるかもしれません。
最後に、本企画「JFF+ INDEPENDENT CINEMA 2023」のメインビジュアルを描いていただいたイラストレーターの山口洋祐さんより、ビジュアルに関するコメントをいただきました。

各地でミニシアターを立ち上げる時、
最初そこには誰か一人の想いがあると思います。
それが周りの人に飛び火して再び別の想いの火種になる。
いつでも最初はとても個人的なものから始まる、
そのようなことをイメージしました。
そんな想いを抱える人なのか、誰かのそんな想い出の一場面なのか、
見る人に委ねたいと思います。

10本の映像をご覧いただいた後、メインビジュアルがあなたの中に宿ったミニシアターの風景とリンクし、各ミニシアターとのあたたかい絆をはぐくむきっかけとなったなら嬉しいです。そして、そんなミニシアターが支える映画文化と地域文化の今と未来を、これからも見つめていけたらと思います。


genda_014.png イラストレーター山口洋佑さんに描いていただいた「JFF+ INDEPENDENT CINEMA 2023」メインビジュアル


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玄田 悠大(げんだ ゆうた) 1982年生まれ、兵庫県出身。京都大学卒。京都大学大学院、東京大学大学院修了、東京大学博士後期課程在籍(都市工学専攻)。空間デザイン会社におけるミュージアムのプランニング業務などを経て、2012年国際交流基金入職。本部やバンコク日本文化センターなどにて文化芸術事業や日本語教育事業を歴任し、2022年より現職。文化的空間を切り口に、国際交流や都市、建築、まちづくりといった分野の研究・執筆・講演なども行う。

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